都市と田舎と生産 〜ポートランド、穂高、茅野〜

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ポートランド – 自身の価値観を自覚して生きる街

新しいものや考え方を取り入れるまでには時間がかかる方なので、ポートランドについてはよく耳にしながらも、何がそんなに人を惹きつけるのかよくわからないままでいた。青山にできたポートランド発のレストラン Navarreで、ポートランドについて掘り下げるセミナーがあるから行かない?と友人が誘ってくれて、先月末出かけてきた。

ポートランド(その魅力や、光と影など二面性)についてはたくさん紹介されているからここでは特に挙げないけど、そこで見られる新しい価値観は、自分がここ数年感じている世の中の動きとぴったり一致するなと思った。

  • ラグジュアリー離れ、等身大、自然体
  • DIY – 自分のテイストがはっきりしていて、好みのものは自分で作る。リサイクルやアップサイクルも。
  • Farm to Table – 作った農家さんの顔が見えるものを食べる
  • 仲間とつながって、自分が欲しいと思う生活の価値(食やクラフトやアートや公共活動など)を作る

ポートランドが、全米のみならず日本でも人気の都市になった理由はいろいろあると思うけど、カリフォルニアを始めとする他エリアからの移住者が、自身の生活スタイルやポートランドの地域資源に対してとても自覚的だったことは大きいんだろうなと思う。

穂高 – 半自給自足の生活

父は信州・穂高の出身。元は兼業農家で、祖母が米と畑をやっていたが、祖父と父、その兄弟はみな商売か勤め人をしている。祖母が亡くなってから農業はやめたが、叔父や叔母が土地を継いで、今も父方の親戚の多くは穂高・松本・明科に住んでいる。東京で生まれたわたしは、小学生の頃までは毎年夏に穂高に行っていたものだ。

Hotaka rice field
穂高の叔母の家(元は父の実家)は田んぼに囲まれている
Hotaka North Alps
穂高の西側は北アルプス

昨年父が、今年春に母が他界し、穂高の叔父や叔母と顔を合わせる機会が多かった。久しぶりに穂高に行きたくなって、お盆に訪問した。叔母宅は父の実家跡にあり、庭にトマト、茄子、キュウリ、ジャガイモ、シソがある。祖母がいた頃は広い畑があったのに対し、今は家庭菜園ほどの大きさだが、それでも朝ごはんと夕ごはんの前に収穫するには十分な量が採れる。近くの叔父宅でも似たような畑があったから、この辺りではみんな多かれ少なかれ野菜を作っているのだろう。

今はとにかく茄子をたくさん食べる。穂高のおやきは有名だけど、その餡にもなっている茄子の甘辛味噌炒めが特に美味しい。祖母がよく作ってくれていたから、叔母も上手に作る。

赤シソ、砂糖、塩、酢で漬けるカリカリ梅も最高で、祖母は刻んだカリカリ梅でよくおにぎりをにぎってくれた。叔母が漬けるカリカリ梅も祖母そっくりで、ごはんが止まらない。

米は裏で親戚が作っている。「何にもないでねぇ」と言いながら、実は家の周りの作物がたくさん食卓に並ぶ。

あるものでごはんを作る」とよく言うけれど、都会では「冷蔵庫にある(買ってきた)ものでごはんを作る」という意味だけど、穂高では収穫したものでごはんを作るということだった。

Hotaka watermill
穂高・大王わさび農場の有名な水車は、湧水がわく蓼川(たでがわ)にある
水車のある蓼川に平行して、一級河川・万井川(よろずいがわ)が流れている
Hotaka wasabi field
大王わさび農場。山に囲まれた穂高は、川が集まり湧水が多い水の郷。

茅野 – 農と経済の話

穂高で4日間過ごした後、茅野に移動してお米の農家さんを訪問した。無農薬・無肥料の米作りをしているこの農家さんとは、 okatte にしおぎで循環する生活というテーマのごはん会で知り合った。

そのごはん会の時に、古米を美味しく食べる方法として、古米ともち米を2:1で混ぜて炊くと美味しく食べられると教わって、以来、時々もち米を混ぜて炊いている。涼しくなったら鶏の炊き込みごはんを作りたい。もち米を混ぜて炊いたら、中華ちまきっぽくなって絶対に美味しいと思う。

この若い農家さんは、茅野の農家に生まれて育ち、東京で勤め人をしていたそうだ。3年前に茅野に戻って米作りをしているが、都会の生活や経済がどういうものかよくわかっているから、農や食や経済の話をするのがとても楽しい。

農家さんは自分で色々作っている。茅野はパセリが名産とのことで、パセリの天ぷらを作ってくれた。作物や日々のごはんだけでなく、お味噌やお醤油に至るまで自分で作れるものは作って、自分が作れないもの(例えば動力を動かす燃料)だけ買うと言う。そういうのいいなぁと思う。都心でそういう話を聞くとユートピアっぽいイメージがあるけど、茅野や穂高のように作物が身近にたくさんあるところでは、作れるものは自分で作るのが普通で、特別なことじゃない

Fujimi rhubarb
茅野の隣町・富士見は、赤いルバーブが特産品。信州の人達にならって、自家製ジャムを作ってみた。
Fujimi rhubarb2
カチンコチンだったルバーブの茎が、火にかけて7,8分経つとどろっとしてくる
Fujimi rhubarb3
ルバーブの茎、グラニュー糖、塩レモン、ワインを煮詰めて出来上がり

ごはんを食べながら、東京の生活はお金がかかるよね、という話になる。穂高の従姉妹も言っていたけど、家を一歩出るとお金を使わずには時間が過ごせない。休憩するにも、車を停めるにも、電車やバスで移動するにも、何から何までお金がかかる。だから、仕事を変わると必ず年収は、収入はどうなったかと聞かれる。自分のエネルギーの大部分を仕事につぎ込むと、移動(タクシー)や食事(外食)や家事サービスなど大量にお金を使わないと生活そのものが成り立たない。自分の生活で必要なアクションをお金に換算して、大部分を外注するとものすごい消費額になるから、たくさん稼がないとやっていけないのだ。けれども、いわゆる転職(勤め人から、別の会社の勤め人になる)をやめて、自分で仕事を始めてから、自分ができること – 特別なことじゃなくて、自転車で移動するとか家でごはんを作るとかフツーのこと… – が増えると交換手段としての貨幣が必要な場面は減るんだなと実感した。

普段はあまり言わないけど、実はいつもこう考えている。

GDPをほんとに増やさないといけないの?
消費を拡大してインフレにしないといけないの?

そういう考え方ってナイーブすぎるかなと思っていたけど、普通にそういう日常を過ごしている人たちと時間を共にして、そんな生活を目指していいんだなと思えたことが嬉しかった。

稲 – 文化ではなくて、丈夫な植物

赤坂憲雄さんの「東北学」を読んでいると、大和朝廷の時代から、稲作は日本統一の重要な手段だったのだと感じるし、その後は年貢という形で統治の手段となった。柳田國男は、北の地での稲作の風景を見て「ひとつの日本」を讃えた。花巻の宮沢賢治「アメニモマケズ」で農民の姿を描いた。

文化の文脈になりがちな稲作だけど、この茅野の農家さんの稲を見る目は全然違っていた。

最初に案内してもらった田んぼは、数十年前に自治体が区画整理したそうで、田んぼの形も大きさも整っている。素人のわたしがパッと田んぼを見たとき、ぎっしり詰まって生えた稲が実っていると「豊かだなぁ」と思ってしまうが、稲も普通の植物だから、ゆったり植えてある方が伸び伸び育つのだという。そいういえば、その前日に平飼い養鶏場で伸び伸び過ごす鶏と、狭いケージに入れられたままで一生卵を産み続ける鶏の話をしていたのだった。もちろん、ぎっしり詰めて植えた方が収穫は多くなる。生産性を考えれば、狭い間隔で植えた方が理にかなっている。

稲作は自然条件に左右されるから、自然に任せていると収穫量が安定しない。殺虫剤などの農薬は、人間にたとえれば薬や注射みたいなもの、そして化学肥料はサプリメントと同じ、という。化学肥料を使うと収穫量は安定する。でも、稲はサボるようになって自分で必死に子孫を残そうと頑張らなくなるそうだ。この田んぼで取れるお米は年間通じてレストランに卸すそうで、話し合いのうえ安定供給のために化学肥料は使い、農薬は使わないことになったそうだ。

Chino rice fertilizer
(右側の田んぼ)無農薬で、化学肥料だけ使ったコシヒカリ

次に、山間にある区画整理されていない田んぼに連れて行ってもらった。無農薬・無肥料をやろうとすると、隣の田んぼの農薬の影響を受けない場所が必要になるという。ここは田んぼの端っこも自然のままで、コンクリートはもとよりビニールなども使わずに、自然の条件に限りなく近く、できるだけ多様な生物や植物が自然に暮らせるようにしているという。畦の草を刈りすぎてしまうと、そこに生えていたイネ科の植物を好物にしていた虫が、稲に寄ってきてしまうのだそうだ。

人間と同じで、稲も、薬や注射(農薬)に頼らずに過ごせば土地にあった体質になり、サプリ(化学肥料)に頼らないで自分でしっかり根を張って養分を取り込み、太陽を浴びて光合成すれば、丈夫に育って子孫を残そうと稲穂を実らせる。稲も普通の植物で、当たり前だけど生物として理にかなった暮らし方をしているのだなぁと感心した。

無農薬・無肥料の田んぼはちょっとワイルドで、稲がぼうぼうと生えている感じ。虫を取ってくれる蜘蛛の巣がたくさんかかっている。管理された田んぼとは違う、野生児という感じだった。

Chino no fertilizer no chemical
無農薬・無肥料の田んぼは、のびのび、奔放という印象

お米を食べよう

2011年、世帯ごとの米の消費額は、パンの消費額を下回ったそうだ。かつては年貢として通貨の役割も果たし、蝦夷(エミシ)と呼ばれた地では日本文化の統一の象徴とも言われたお米。

外食中心の生活をしていた頃、家でごはんを炊くことは少なかった。ここ数年はごはんが主食に戻ったけど、この夏信州を訪問して、あらためてお米ってすごいなぁと思った。ごはんさえあれば、あとは自分のところで育った夏野菜で立派な夕食、朝食、お昼ごはんが出来てしまう。

ポートランドの人々にならって、自分の生活やスタイルに対し、今までより少しだけ自覚的に生きてみようと思う。そして、信州の人たちにならって、自分の身近にあるもの(それがいわゆる旬のもの)を美味しくいただこうと思う。

  • 自分で作れるもの(作物、料理、道具や洋服)は、自分の時間やエネルギーが許す限り自分で作る。
  • 自分で作れないものは買う。その時に、できるだけ地元由来のものを買う。それが一番自然で、そこで暮らしている自分と合っているはずだから。
  • すべての生き物にはサイクルがある。自分のサイクル、周りの人のサイクル、物事のサイクル、自然のサイクルを意識する。

夏の長雨・極端に短い日照時間にお米農家さんは気が気でないだろう。わたしができることといえば、とにかく美味しくお米を食べよう。

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夏野菜のお弁当。カリカリ梅ごはん、きゅうりのピリ辛漬け、ナスとピーマンの味噌炒め、ゆで卵とミニトマト。信州だったらほとんど自分で賄える!

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