料理教室は、ダメ女の人生を変えるか?

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Nine culinary novices

ダメ女と料理」。このタイトルにドキッとしたのはわたしだけではないと思う。料理は花嫁修業と言われたのははるか昔。男女雇用機会均等法以降、花嫁ではなくてバリバリと「男並み」に働くことを目指す女性が増えた。人の家のキッチンを覗くことはできないけど、その結果、かつての(一般的な)「男並み」(← 一応気を使って書いている)にお料理ができない女性もかなり生まれてしまったのではないかしら。

というのは実はわたしのことで、共稼ぎだった母は家で毎夕食を作っていたけど、段取り通りに手早く作ることに集中していてわたしが台所でウロウロしていると「ジャマだからどいて!」と言われるのが常だったので、母にはほとんどお料理を習っていない。ベターホームに通ったこともあるけど、煩い姑みたいな先生が口うるさく「あなた、そんな包丁の持ちかたしたら危ないじゃない!」みたいになじられるので、やはりあまり面白くなくてそのうちやめてしまった。料理をし始めたのは、20代後半に家を出てからで、それも大したものは作れなくて、カフェごはんっぽいものとか友達を家に呼んで盛り上がりそうなものばかりだった。

okatteにしおぎのメンバーの方がFacebookで投稿していたこの本、つい琴線に触れて、早速地元の図書館にリクエストした。(所蔵していない新刊本などで、図書館がいいと判断した本は買ってくれる。)まっさらな本が届いてウキウキして開いたら、かつてのわたしみたいな人生がたくさん出てきた。人生のいろいろなことにそれなりに自信を持っているのに、料理となると態度が変わる。「わたしにはムリ」と投げやりになったり、無理におどけたり、「母が教えてくれなかった」「時間がもったいない」と言い訳をしたり。人気の料理番組を欠かさずテレビで見ながら、食べているのはレンチンのインスタント食品だったり。

離婚して出ていった母親に会える場所がマクドナルドだったことや、ボーイフレンド宅に遊びに行って料理ができないとその家族に笑われたトラウマとか、夫から「お前の料理はまずい」と言われて作るのをやめたとか、離婚してライフスタイルの変化の中で自炊しなくなったとか… 人生の数だけ、料理との関わり方のストーリーがある。どういうわけか、アメリカでも日本でも「女と料理」は劣等感とか優越感とかと密接に関わってしまうようだ。

本の中に面白い言い回しが出てきた。アメリカの有名な料理関係者の言葉らしいが、「じゃがいもや肉が目の前にあっても、それを茹でたり焼いたりという調理方法を知らなければ無いのと同じ」。逆に言えば、茹でる、焼くという調理方法を知っていれば、食の選択肢は格段に増えるということだ。

昨年、日本獣医生命科学大学(多摩地域の人には、旧・日本獣医畜産大学と言った方が通じるかも)で「調理科学」を聴講して、料理は化学・物理なんだなぁと発見してすごく面白かった。優越感とか劣等感みたいな感情とは無縁のロジックの世界。塩の浸透圧が、美味しい野菜スープにつながる。タンパク質が変質する温度が、肉の焼き方につながる。

本に出てくる9人の女性たちは、包丁の選び方・使い方を学び、鶏を解体してその調理方法を学び、牛肉の部位を学び、魚の焼き方を学び… 調理方法を習得する過程で、彼女たちが手に入れた、あるいは取り戻したのは「わたしもこんなに美味しいものが作れる」という自信だった。

アメリカの食事情を垣間見ることができるのも面白かった。アメリカでは、購買された食材の1/3は捨てられているらしい。魚の消費量は少なく、一人当たりの年間消費量は7kg(同じ条件・時期の比較ではないけど、日本は27kg)。鶏の消費量が凄まじく、年間30kg(同、日本は12kg)、牛は25kg(同、日本は6kg)。

レッスンを紙上で再現しているから、調理法や器具の名前を知るのも面白かった。例えば、焼くにもいろいろあってオーブンで焼く(丸鶏みたいな大きいものはロースト、胸肉みたいな部位を焼くのはベイク)、直火で焼く(グリル)、炒める(ソテー)など。

ところで、図書館への返却期限が迫ってきたから急いで読んで、かつ期間延長しようと思ったら、既に17人も予約が入っていて延長できなかった。やっぱり「ダメ女と料理」に反応する人はたくさんいるんだと確信した。

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