石巻
仙台から近いこともあって、石巻には何度も足を運んだ。何もできないけど、とにかく被災地に足を運ぼうと初めて仕事以外で訪れたのが2012年3月11日。やがて取引先になるお友だちが仙台にできたことで、その後も石巻にはよく連れて行ってもらった。復興商店街の美味しいパン屋さん(「パオ」さん)、もともとスーパーだったビルを使った市役所(そこに何軒かあるカフェでお茶するのが今でも習慣になっている)、小高い丘になっている日和山公園、雫石から盛岡・花巻・一関と岩手県を縦断してようやく石巻で河口に至る北上川。北の玉手箱と取引をしてくださる加工業者さんもできたので、自分でもちょこちょこ出向くようになった。
それでも足を踏み入れることができなかった場所が、日和山の南側、海まで広がる更地と、北上川の右岸にある大川小学校。
わたしは被災地の写真を撮ることがどうしてもできなくて、写真をほとんど持っていないのだけど、2013年4月下旬に訪れた桜満開の日和山公園はとても穏やかな気分で写真を撮ることができた。震災からまだ2年、写真を見るとお花見をする人もさして多くなく、複雑な思いを抱えて日和山を歩いたり桜の下で集っていたのだと思う。
シルバーウィークに、日和山神社(正式には 鹿島御児神社)の境内でヴァイオリニスト増田太郎さんのコンサートが行われた。太郎さんは東北沿岸部に何度も行かれてコンサートをされているが、宮司の奥様が太郎さんのCDをお持ちで境内でも流しているということを、石巻を訪れた太郎さんが知ってそれをきっかけにコンサートが開かれることになったそうだ。境内で聴くヴァイオリンは特別だが、一番心に残っているのは最後にみんなで歌った「花は咲く」。NHKで何度も聞いていて、正直特別な思いは全然抱いていなかったのだが、自分で歌ってみると聞いているのとは全く違う。1フレーズ、1フレーズ、人はいろいろな思いをのせて歌ったり聴いたりしていたのだろう。
石巻に行くたびに日和山を訪れ、南側に向かって手を合わせたものだ。見えるのはお墓ばかり。津波のあとに立替えられたのだろう、新しいお墓ばかりだ。そのエリアに、地元のライオンズクラブの阿部さんにご案内いただいて初めて足を踏み入れた。(余談だけれども、沿岸部には「阿部さん」という名字の方が非常に多い。)嵩上げ工事が進むが、家は建っていない。このエリアは住宅を建てずに、堤防替わりの道路と公園になるそうだ。かつてはここに家や商店、病院が立ち並び、確かに人が生活していたのだ。
石巻に行くことがあったら、「がんばろう!石巻」の看板を訪れてみてください。このエリアの真ん中にあります。
http://gannbarouishinomaki.jimdo.com/
そしてもう1か所、その前を何度か通りながら足を踏み入れられなかったのが大川小学校。やはり阿部さんにご案内いただき、初めて訪れることができた。市の中心部を流れている旧北上川ではなく、岩手から流れる本流の北上川はとても大きくて、右岸には道路を兼ねた堤防がある。この道から少し入ったところに大川小学校がある。普段はこの道路を車で走るから、大きな川の様子がよく見えるけど、小学校の敷地に入るとこの堤防があるために川の様子が全く見えない。背後には山が迫る。
あのような大災害が起こったとき、人は「考えなくてもできる」ことしかできないのだと思う。だから「考えなくてもできる」ことをたくさん身につけておかなくてはいけないんだと思う。個人レベルではそれしかできなくても、個人が集まるとよりよい判断ができるかもしれない。といっても正常な判断ができる状態ではないから、そのためにマニュアルを作って常備しておくのだと思う。
津波で命を落とした児童や周辺の住民たちの名前を刻んだ慰霊碑がたつ。台座に「子まもり」と記された石の像がある。秋の空の下、手を合わせる人が後をたたなかった。