柳田民俗学にノーを唱えた人。「東北学/忘れられた東北」を読んでみた。

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柳田國男の「遠野物語」と聞くと、「失われた日本」「美しい農村」みたいなファンタジーのようなイメージを持っていた。自宅のある武蔵野市と岩手県遠野市は友好都市で、市内では遠野物語に関する展示やイベントが時々行われ、2年ほど前に遠野物語の研究をされている赤坂憲雄さんと、遠野物語のドラマに出演された女優・近衛はなさんのお話を聞く機会があった。

遠野物語は、佐々木喜善という遠野の人が柳田國男に語った話で、妖怪や神隠しのような夢か現か不思議な話ばかりだが、赤坂さんのお話で興味を持ったのは「山人」という存在だ。

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国内の山村にして遠野よりさらに物深き所には、また無数の山神山人の伝説あるべし。

願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ。

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遠野物語の有名な序文で、今もこれを読むとワクワクする。里に住む普通の人(平地人)がムラをつくって集落で生活し、稲作に励むのと対照的に、山人は集落は作らずに山の中で生活し、狩猟や山菜採りで生活をしているのだという。

その赤坂憲雄さんが「東北学」というジャンルを研究されていることは、震災後に何となく目にしていたので、赤坂さんが東北学を始めた頃の著書 「東北学/忘れられた東北」を読んでみた。

Exploring Tohoku by Norio Akasaka

稲と米

遠野物語の研究者として著名な赤坂さんだが、柳田國男が貫く稲作・米を中心に据えた民俗学(稲作をすること=日本人、という位置づけ)に真っ正面から異を唱える。

北の玉手箱が取引している花巻・銀河の里が作る「佐助焼売」の中に「雑穀焼売」というのがあって 、焼売の上にひえ、あわ、アマランサス、きびという雑穀がトッピングされている。東京で育ったわたしは雑穀になじみがないのだが、遠野から釜石に出て大槌、山田、田老と北上する途上で立ち寄る道の駅では、必ず粟や稗が棚に並んでいるのを見かけたものだ。

もともと米の栽培が難しい東北の地では、雑穀の栽培によって飢饉の被害を受けない食文化を営んでいたのだが、明治になって稲作が政府により奨励され、東北独自の食文化や生活方法が失われていってしまったと赤坂さんは述べている。

「南から北にいたる広大な国土の中で、稲作をしているという文化が日本をひとつにつないでいる」というのが柳田國男の視点。赤坂さんは、体制がこのような「ひとつの日本」の枠、精神的支柱を作り、日本各地で始まった稲作をもって「ひとつの日本」を唱え、稲作をしない地域には「辺境」のレッテルを貼っているという。赤坂さんが東北の地を歩いて発見する固有の文化が示すのは、「ひとつの日本」ではなく「いくつもの日本」だ。

山人の生活、山の文化

一昨年の夏、岩手県田老で「縄文漬け」を作られている山根千恵子さんを訪ねた。お家は代々漁業に関わられて、千恵子さん自身、宮古の魚市場で働いていたという。食文化、特に縄文との関わりや、自然の力についてたくさんお話を伺った。

印象に残っているのが、「やんもうど(山で働く人)」と「はんもうど(海や浜で働く人)」はお互いに補いあって生きているというお話だ。「豊かな山があってこそ、豊かな海がある」と考えるはんもうどたちは、魚付き林(うおつきりん)といって山の森林を大切にするそうだ。

遠野物語の中では、やんもうどたちは里の平地人たちに怖れられていて、獣と共存しているちょっと化け物っぽいイメージでとらえられているけど、赤坂さんによれば、山人たちは狩猟のみならず、畑作、山菜やきのこ採集など山の生活とともに、川漁や舟木つくりに携わる幅広い能力の持ち主だったとのこと。

話しはとんで、昨年、山形・庄内を訪ねたときのこと。今では鮭漁というと洋上のイメージが強いけど、元々庄内の川は鮭漁で有名で、鶴岡の博物館には立派な川船が何艘も展示されていた。川で漁をする人と、山の木を使って舟木づくりをする人々。技術と道具が結びついて、食生活のみならず人生が成り立っていた時代に思いを馳せて、そういう人生を送ってみたいものだと思った。

縄文への思い

「蝦夷」はエゾと読むとばかり思っていたが、エミシとも読むそうだ。エミシは、古来から東北の地に住んでいた人々。

稲作よりもずっと前、奈良時代に坂上田村麻呂がやってきたときから南のヤマトによる東北支配が始まった。エミシの生活はどんなだったのだろう。山根さんのお話でも、赤坂さんの著書の中でも、縄文の生活が見え隠れする。「山人」の暮らしと、縄文人の暮らしには共通点がたくさんあるのだそうだ。

Potteries of Jomon
岡本太郎美術館にて
Jomon pottery fire-flame style
火炎式土器(岡本太郎美術館にて)

東北の仕事をするのだから、東北の本を読もうと軽い気持ちで読み始めたのだが、カバーしている地域が岩手、山形、秋田、青森と広範囲にわたり、時期も紀元前にまで遡るという壮大なスケールで、行ったことのない場所のことは全然頭に入らずに、入手してから読み終わるまで結局2年もかかってしまった。今でももやもやしているが、2年前から心に引っかかっている縄文について、これから知っていきたいと思う。