岡本太郎と縄文、伝統、そして東北

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岡本太郎が縄文と東北に強く惹かれていたことを知ったのは、先月、川崎市の岡本太郎美術館に行った時のこと。太陽の塔のレプリカのすぐ近くに、東北で写真撮影に夢中になっている太郎さんのモノクロ写真が何枚か飾られていました。わたしは、太陽の塔のような顔シリーズ(?)が大好きなのだけど、太郎さんが縄文に惹かれていたと知ってピンときました。なんというか、世界観が同じなのです。

伝統とは、はげしく挑むもの

驚いたのは、岡本太郎の著書が多数あることです。わたしは岡本太郎の影響を受けるにはちょっと遅い生まれだから、太陽の塔を作った人、「芸術は爆発だ」と言った人ぐらいにしか知らなかったけど、おそらく50年代あたりにはものすごく社会的影響力を持っていたのでしょう。

「日本の伝統」(1956年刊)はその頃の著書で、縄文土器についても書かれているので早速読んでみました。

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 先日、竜安寺をおとずれたときのこと。石庭を眺めていますと、ドヤドヤと数名の人がはいってきました。方丈の縁に立つなり、
「イシダ、イシダ。」
と大きな声で言うのです。そのとっぴょうしのなさ。むきつけな口ぶり。ふつうの日本人ではあり得ない。二世じゃないかと思ったのですが、さすがの私もあっけにとられました。
彼らは縁を歩きまわりながら、
「イシだけだ。」
「なんだ、タカイ。」

「日本の伝統」より、「伝統とは創造である」(岡本太郎)

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太郎さん独特の言い回しがたくさんあって、特にカタカナやひらがなの使い方が独特で、それが妙に説得力があり、ユーモアがあり、わたしは本当に岡本太郎という人が大好きになりました。

そしてとても大事なことは、岡本太郎という人は、伝統主義者とか伝統のお作法とかその分野の大家の見識とか、そういったものを全部取っぱらって、素人だろうがなんだろうが、自分の目で見て正面からぶつかって、いいものはいい、いいと思わなければいいと思わない、と言ってのけていることです。

伝統とは激しく挑んで、踏み台にして乗り越えていくもの。そういうものだけが伝統として残るのだ。後生大事に恭しく奉り、識者の教えの通りに眺め、大家の御託をありがたく拝聴して「ほぉ」などと感動するものではない。互いに裸でぶつかって、それでもグンと押し返してくるものがあったら本物だ。本物に逃げずに対峙して、乗り越えようと必死にもがく。それが創造であり、同時に伝統なのだ。

岡本太郎、本当にかっこいい!

縄文、これこそが日本人のルーツ!

生きるというエネルギーに溢れた岡本太郎は、いわゆる日本の伝統というものにひどく閉塞感を持っていたようです。わたしは小学校の社会の教科書で、「日本には縄文時代があって、そのあと稲作の弥生文化が広がった」と習い、縄文も弥生も同じぐらいの比重で扱われていたけど、以前は縄文文化というのはほとんど知られていなかったようです。ところが戦後、岡本太郎は縄文土器に出会った。雷に打たれたようにショックを受けたようです。同時に、「これが日本人だ!」と狂喜乱舞したらしい。あのエネルギー、激しさ、プリミティブな生命力、岡本太郎に通じるものですものね。嬉しかったんでしょうね。

「日本の伝統」(光文社・知恵の森文庫版)には縄文土器の写真がたくさん収められていますが、全て岡本太郎の撮影です。縄文土器の原稿が最初掲載された美術雑誌では、「岡本太郎さんとはいえ素人の写真は載せられない」とプロカメラマンの写真が使われたそうですが、ライティングをきちんとセットして美しく撮られた写真は、確かに綺麗ではあるけど岡本太郎を捉えた生命力は伝わらない。ということで、この文庫では全部岡本太郎の写真です。土器の文様も面白いけど、土偶や土面が最高です。

以前読んだ「東北学/忘れられた東北」(赤坂憲雄)では、中央政府(遡っては大和朝廷、近い時代では明治政府)から「ひとつの日本」(例えば稲作)を押し付けられる前の、東北独自の文化風習をテーマにしていたけど、岡本太郎も見ているものは同じで、稲作という自然を管理する生活スタイルではなく、野生の動物や自然そのものと対峙して生きていた狩猟民族としての縄文人とその生き方、生活、信仰、そういうものがたぶん生きているものの根源的な姿であり、エネルギー、生命力なんだろうな。それは創造のエネルギーと同じなのでしょう。

「日本の伝統」に頻繁に登場する言い回しが、激しくたたかう、激しく挑む、ぶつかっていく。縄文人はそうやって生きていたのでしょう。そして現代に生きる我々も、現実から逃避して過去や伝統の狭い世界に逃げ込むのではなく、現実とたたかう。目の前の生活とたたかう。それは芸術家でも同じです。そうやって生きることこそが創造であり、伝統をつくるのだと言っている。この本が出たのは1956年ですが、60年たった今でも鮮烈なメッセージとなって迫ってきます。

岡本太郎と東北

岡本太郎は、縄文土器に迫っていった情熱そのままに、東北という地に迫っていきます。1960年代に秋田、岩手、青森を訪れ、そこで撮影した写真と文章で構成された本が「岡本太郎の東北」(毎日新聞社)です。

秋田では男鹿半島のなまはげ、岩手では花巻の鹿踊を中心に取り上げており、自然の中で生き、自然と交わる姿を追っています。これは「東北学/忘れられた東北」の赤坂憲雄さんにも通じるもので、1960年代も90年代も、東北にはそういう姿が色濃く残っていたのでしょう。

秋田や岩手の風景は、実際にわたしが見た風景にも通じるもので、ああやっぱり感じるものは同じなんだなと思ったものですが、青森の写真は怖かった。下北半島の恐山とそこにやってくるイタコが中心です。シャーマニズムには妙に惹きつけられるものがありますが、その媒介になっている人たちは、口寄せのときには人から崇められるけど、普段は蔑まれている存在であり、その能力の発端はもしかしたら病気かもしれなくて、人間の残酷さや都合の良さ、しぶとさなどいろいろごちゃごちゃになって迫ってきます。そういう写真を正面から撮ってしまう岡本太郎、ちょっと怖いなと思います。