東北と縄文

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ちょっと間があいてしまいました。記憶が新しいうちに、記録を残しておかねば…。陸中の田老を訪れたのは、ある作り手さんを訪問するためでした。

震災後、わたしの友人の中には東北関係の仕事に携わることになった人が多く(なぜかみんな女性です)、その一人が「ここはとても美味しい」と紹介してくれたのです。東北で作り手さんを訪問すると、2時間、3時間におよぶことがザラです。お話が面白くて色々伺っているうちに、どんどん時間がたってしまうのです。この日ははるか縄文にまでさかのぼる、東北に息づいている食の保存方法、発酵について色々教えていただきました。この方、歴史ある水産加工の会社を継いだ女性ですが、以前は陸中の魚市場で働かれていたとのこと、生粋の海の方です。三陸は海と山が共存しているのだな、とつくづく感じたのは、この方が「豊かな山があってこそ、豊かな海がある」とおっしゃっていたこと。魚付き林(うおつきりん)といって、海の人たちは山の森林を大切にするそうです。

せっかくなのでお昼をどうぞ、とお誘いいただいて、時不知(ときしらず)というとても美味しい鮭(秋ではなく、初夏に獲るから)と、さんまのつみれ汁、夕顔という瓜の炒め煮をいただきました。

「東北はしょっぱい」と思っている方、今は全然違います! 保存のために仕方なくしょっぱくしていたこの地方、今では冷凍技術の発達で「我慢してしょっぱいものを食べなくてもいい」という言葉を伺って、とても嬉しくなりました。時不知は甘塩、つみれ汁、炒め煮もとても優しい味です。特に、女性が経営する加工場はこのようにほっこりする優しい味が多いように思います。

余談ですが、今、この「東北と縄文」に夢中です。もともと、遠野物語研究の赤坂憲雄さんのお話しがとても面白くて、遠野物語と、この方の本を読み始めたのですが、「稲作前の東北」にこだわる姿勢がめちゃくちゃ面白い。東北に数多く残る縄文遺跡、稲作が導入されてから飢饉に苦しむようになったけど、もともとはヒエ、アワなどの雑穀やどんぐりなどの採集で暮らしていたこの地域、南のヤマトがやってくる前は豊かな土地と暮らしがあったのでは、というお話しです。(「東北学   忘れられた東北」 赤坂 憲雄)  遠野物語には常民が「山人」を恐れるという話が登場しますが、それはもしかしたらヤマトとエミシなのかな、と想像してしまいます。

さて、この日の午後は八戸まで移動するのですが、45号線の距離約140キロ、途中、龍泉洞にも立ち寄ろうという強硬スケジュールでした。続きはまた。